2009年10月13日火曜日

国という言葉の曖昧さ

政権が交代して以降、前政権のしわ寄せを、あたかも現政権の問題とすり替えるマスコミ報道の問題点を指摘した事があったが、最近のTV番組で自民党の議員が民主党のマニフェスト批判の手段として地元の方との対話が無い事を取り上げていた。
だが、地元の方の語りを聞いていると「国が約束した」という過去のしがらみを矢面にした一辺倒な発言で、げんなりする。国は約束していない。約束したと思っているのは「前政権」なのであり、それは実は約束では無いのである。だって、政権が交代すれば、実現できっこないことだからである。
「前政権」は「国イコール自分たち」のポーズをとり続けてきた。それができたのは自民党という政党の狡猾さなのだが、政権が続いたことで多くの国民は騙されてきた。褒められれば自分たちの手柄だと言い、文句を言われれば官僚が悪いと言い、責任逃れをしてきた。だから、政権は続いたのだが、その巧妙な関係に気付かなかったのである。
今、問題とされているほぼ100%が自民党の政策失敗でしかない。民主党が、格好付けて、その後塵に巻かれないことを祈るばかりである。
国は国民であり、あくまで、地元の方は「約束した」という自民党の皆さんを徹底的に攻め続けるのが筋というものである。だって、地元の方が反発している新しい政策そのものだって国民の総意であるのだから。

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